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超重戦車マウス



史上最大最重量の戦車として今もその名を留める超重戦車マウスは、一般にヒトラーの「大きな兵器が好き」なる個人的嗜好によって生み出された狂気のシロモノだと言われるが、誕生の背景にはまだ少し奥がある。
1941年初頭、「ソ連で100t級重戦車が開発されている」という情報が陸軍総司令部にもたらされ(この戦車は例の多砲塔戦車T−35だった)、結果、陸軍兵器局・兵器部は、これに抗することが可能な超重戦車の開発をクルップ社に指示した。
1942年3月5日から6日にかけての会議でクルップ社は当時計画の進んでいた72t級戦車に替え、100t級戦車の開発、試作車の製作を命じられ、72t級戦車を拡大して100t級とする一方、110t、130t、150t、170tの各級重戦車案を提出、このプロジェクトは「マムート(マンモス)」「クルップ・モイゼ(鼠)」と秘匿名称を冠された。
ヒトラーがこの計画を知り、兵器局戦車委員長フェルディナンド・ポルシェ博士に100t級戦車の設計を行うように指示したのが1942年3月21日から21日にかけて行われた会議である。
以降、このプロジェクトは「ポルシェ・モイゼ」と呼称されることとなった。
この時に要求されたのは、大口径砲と機銃、弾薬100発の搭載であり、中口径砲の搭載は求められていなかった。
同年4月18日、クルップで行われた社内会議において、この戦車の主砲に弾丸重量34sの分離装薬弾を用いて1分に4発の発射速度のある40口径150mm砲を搭載してはどうかと提案がなされた。
また主砲を弾丸重量29.3sの50口径128o砲とする、より現実的な案も考えられている。
5月13日のヒトラーと軍需相シュペーアの会議の議事録には、ヒトラーが春以降に登場するであろうソ連新型重戦車に強い危惧を抱き、現在計画を進めている戦車が70t級であるため互角程度になることを恐れ、より強力な装甲、主砲を持つ重戦車が妥当な存在であると述べている。
またこの時ヒトラーは、当初は60口径でよいが、後に72口径とすることを望んでいた。
しかしながら、100mmを超える大口径戦車砲を長砲身化することには多大な技術的問題が存在し、実現は実質的に不可能といってよかった。
6月4日には、この超重戦車を「動く城塞」と考え、速度性能を重視しない旨の発言を行い、23日にはポルシェ側が要求に応えた設計案に関して、地雷に耐えられるよう前面下部装甲厚を100mmとし、大口径の37口径150mm砲と発射速度の高い70口径105mm砲を選択可能にするように要求がなされた。
このポルシェ案は社内ではタイプ205と呼称された。
この基本概念図では既に後のマウスとして完成するスタイルが完成されており、独特の電気駆動方式も採用されていたが、サスペンションはVK4501(P)で用いられた縦置き式トーションバーを収めた転輪基部の前後に中直径転輪を左右にずらして配置するという、ポルシェならではの方法が採られていた。
砲塔は細部に変更がみられ、E100用として想像図が公表されていたものに似ているが、これはE100がマウスの砲塔を流用しようとしていたため、初期の完成予想図ではタイプ205の砲塔をそのまま描いたからである。
搭載される砲は大口径砲(150mm?)と100mm砲を同軸装備することとなった。
この後ヒトラーは先の発言を撤回し、105mm砲に替え、75mm砲を同軸装備することとした。
同年12月、ポルシェ博士のタイプ205(この時点では「マウシュヘン(ネズミちゃん)」と呼称されている)と800o列車砲の設計で知られるクルップのミューラー博士案が提出され、ヒトラーは両案を比較、検討し、結果としてポルシェのタイプ205を選択。
ポルシェ側も43年5月12日までに試作車輌を完成させると明言した。
この時点でヒトラーが本車に求めたのは、まず重武装(当時最強の128o砲の搭載)、次に可能なかぎりの高速性、最後に重装甲となっており、先の発言と全く矛盾していた。
ヒトラーは本車に大きく期待を寄せ、試作車完成後月産5輌の生産を要求した。
この生産車はクルップ社で組み立てが行われるものとし、予定されている主砲の貫徹力のデータを求め、また装甲板に海軍艦艇のものを流用できないか要求している。
その後、製造をクルップ社で、組み立てをアルケット社で行うこととされ、生産がかなり現実的なものとなってきたマウスであったが、1943年11月11日、突如生産がキャンセルされ、試作中の車体2輌と砲塔1基の製作続行だけが認められることとなってしまい、結局1943年12月22日に完成したこの未曾有の超重戦車試作一号は、55tの重量を持つダミー砲塔を搭載してクンマースドルフでの試験に臨むこととなる。
このような超重戦車は当時のドイツにおいて無用の長物でしかなく、キャンセルされたのも当然であるが、これに先立つ11月1日、ポルシェ博士と兵器局第6課のザトニク博士の会談において、ダミー砲塔搭載の1号車、完全武装の2号車、1輌分の予備部品と潜水キット(マウスはその大重量により橋が渡れず、当初から防水構造であった)索引キットを製作することで合意を見た。
この超重戦車は技術的にはなかなか興味深いもので、先に述べたように電気駆動(というよりハイブリッド駆動)を採用(その大重量に耐えられる変速機がないから)理論上は優れたものであったが、同じ技術を用いたポルシェ博士の前作、フェルディナンドはロシアの厳しい気候の前に悪戦苦闘することとなる。
それはともかく、この戦車は車体の3/2がパワープラントとなっており、航空機用MB603Aを車載型としたMB509ダイムラー・ベンツ12気筒1080馬力ガソリンにより発電機を回し、クラッチを介して2基の電気モーターが履帯を駆動。
計画路上最大速度は20q/時であったが、自然の地形では10q/時程度だった。
完成直後の12月24日からクルップ社の施設内において簡単な走行試験が行われ、軍需相シュペーアも立ち会うなか、アルケット社のカール・ゲンズベルガーの操縦により工場の施設内を走行、マウスはその巨体にかかわらず、かなりの機動性を発揮して周囲を驚かせた。
まがりなりにもこのハイブリッド機動が完成の域に達していたらしい。
引き続いて行われた旋回試験では旋回半径8mを示したが、ポルシェ博士は駆動装置の改良を命じ、信地旋回や超信地旋回も可能となった。
後に資源と労力の無駄食いと評されたこの巨大な「鼠」は、雲霞のごとく迫り来るソ連軍を迎え撃つべく付近の残存戦車(5号パンターという説、4号とヘッツァーであるという説などがある)と急造戦闘団を編成、ソ連軍と交戦したという説、または交戦前に行動不能となった、など諸説あるが、結局2輌とも行動不能となって自軍の手によって爆破されてしまった。
この時、何故、砲を積まない1号車も出撃したのかは謎である。
破壊されてはいたものの、ソ連軍は本車を持ち帰り、2号車の砲塔と1号車の車体を組み合わせて再生し、現在もクビンカ博物館の展示物として余生を送っているが、写真で見る限り、破壊は凄まじく、各々の部品を組み合わせて再生したというほうが当たっていそうだ。


超重戦車マウス・性能諸元
全長:10.09m
全幅:3.67m
全高:3.66m
重量:188t
航続距離:186q
装甲厚:40mm〜240mm
主砲:128o
副砲:75mm
乗員:5名



自軍の手によって爆破されたマウス


マウスの128o主砲

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